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Column - Saika

2016/2017 春 花曇り

ちょうど花曇りの日に、医学部の松村が花見に誘いに来た。寒さも残る上に、少しぼやけているのでは無いかと渋ってみたが、このような日に観るからこその良さもあり、雲で粗を隠された花を観るのもまた一興、などと言う。

どうやら松村は、格別桜には思いが深いのか、この季節になれば普段は思いつかないような風流なことを言ってのけるのである。

そうまで言うならば、と春眠に引きずり込まれそうになる眼を擦り、着物一枚で外へと出た。出てみれば、やはりもう一枚着ておけば良かったかとも思うが、花の下で丸々と着膨れをしているのも美観を損なうと思い、そのまま出掛けることにした。

松村が連れ出したのは、大学の桜の下では無くて吉田の外れにある一本の桜の下であった。花見の学生で賑わう場所と比べて、落ち着いているのが気に入った。

「どうやってこのようなところを見つけたのだ」

「何、桜の実を植えたのだ」 

冗談で誤魔化し、風流な桜を見つけ出す能力は秘めておくつもりらしい。

「病を見つけるのと比べれば、楽なものか」

「とんでもない。病の方が余程、続々と見つかってくる」

物騒なことを言われてしまい、口を噤んだ。

朝からの雲はさらに山のために濃くなっており、花曇りという言葉が似合う天気である。花であるのか、霧であるのか、白くぼんやりと木のてっぺんが濁っている。確かに、このような日に観る良さというのもあるものだ、と感心してしまった。

松村は、茶の用意までしてきたらしい。

「彼の八ッ橋屋で、仕入れてきた」

肉桂の香りのする袋も、調達している。

「何故、こうまで花の季節を大切にする」

「今年は格別だよ」

どういう意味かと頭を捻っていると、翌年の今頃は別の町に移るのだと言う。

「病院に詰めるからな。もう、医学生はそのような時期だ」

言われてみて、私にもそうした時期がいつかは来るのだということに気付いてしまった。

「この町を離れるとは」

「思いたくないが。そんな日もやってくる」

そうか、と八ッ橋を食べながら茶を飲み、二人で黙って桜を見上げた。

「こうも頻繁にこの菓子も食べることはあるまい」

「住んでいる限り、送ってやろう。桜の季節には、この肉桂の香りを」

楽しみにしている、と松村は淋しく笑った。

花の周囲に湧く雲は、全てを包み込むように優しく光ったままである。