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Column - Saika

2014/2015 春 花冷え

疎水の桜が満開であるのを見つけた五日後に、大家が疎水の桜が満開であると言う。葉桜となっているのならばともかく、あのときの桜がまだ満開ということもあるまいと、少し遠回りをして帰ることにすると、たしかに桜は満開であった。

さては五日前は八分であったか、と首をかしげていると、ベンチに座る老人が笑った。

「皆、そこで首かしげはるわ」

「五日前も同じく満開であった気がしたのですが」

「満開やったよ。ここんとこの花冷えで、今年は花がようもっとる」

疎水の水面には、花びらが一面に広がっている。これほどまでに落ちてもまだ葉が出ないのは、たしかに寒さの所為であろう。

一度花を開かせた春風はこのところすっかり塞ぎこみ、片付けたはずのマフラーを再び巻く羽目になっている。老人は鮮やかな赤いマフラーを巻いていた。

「お洒落なマフラーですね」

「ああ、これか。これは前に倅が祝いのときに買うてくれた。赤いしちょうどええ思たとか」

還暦の祝いの品であったか。今時赤いちゃんちゃんこも時代遅れではあるところで、なかなか気の利いた贈り物である。

私もベンチに座って満開の桜を眺めることにした。とりたてて話はしないまま並んでいたが、桜の前では黙っていても気まずさも無い。

花は一年のうちこの季節にしか見ることが出来ないのであるから、咲いているのならば出来る限り見ておく方が良い。生きているうちに見られる回数は決まっている。少しすれば、もう、ここの桜も緑が混ざるのであろう。

昼前であったので、空腹を感じた。

すると、心を読んだかのように老人が菓子の一欠けを渡してきた。見慣れた八ッ橋の欠けらである。

「住んでると食べはることも、もうあんまし無うなってきたやろう」

菓子を眺めている私をそう捉えたのか、否定するのも何なのでそのまま、微笑んだ。老人の持つ袋を見ればやはり、あの八ッ橋屋のものである。

「倅が働いていてな、余った言うてたまに持って帰ってくる」

嬉しそうに笑窪を作るその表情は、例の八ッ橋屋のものととてもよく似ている。男が赤いものを探し、店でマフラーを手にとって思案する姿が目に浮かんだ。

帰り道に、八ッ橋屋の店先を通った。忙しい時期らしく、一度走って出てきたが私に気付かずに、また駆け戻って行った。

肌寒い中の白の作業着が、清々しく光っていた。